【トラジャ物語 その17】
すみません、今日は相当長いです。
引っ越し2回分、そして、次男と娘が誕生します。
***
綱島に引っ越して3年がたとうとしていました。
定期借家は3年契約です。
退出期限が迫っていました。
その頃、私は二人目を妊娠していました。
子供が、幼稚園、小学校と控えている状態では、なかなか別の地域に引っ越すということはできないものです。
私もせっかくできた友人関係をなしにするのは嫌だ、と思っていました。
そこで、そのマンション近くの物件を当たりました。
探しに探した末に、ものすごく古いアパートを見つけました。
家賃の希望に合わせると、そのアパートくらいしかなかったのです。
私達はきれいな分譲マンションからボロボロのアパートに引っ越しました。
アパートは、階下のTVの音が聞こえるような、
足音がうるさいと、棒で「どんどん」と突かれる、そんな情緒あふれるアパートでした。
引っ越してから、私達は足音、話し声、TVの音量など、すごく気を使う生活を始めました。
長男は静かな子だったので穏やかに、TVの音量も抑え気味にひっそりと暮らしていました。
それが次男が誕生によって激変します。
***
次男の誕生は、冬でした。
予定日はお正月。
私は少し早めに里帰りをしました。
長男は、実家の保育所へ転入手続きをしたのです。
この年は、記録的な大雪でした。
長男は大喜びです。
年末。夫が合流しました。
予定通りに生まれてくれれば、今回はちゃんと立ち会えるはずです。
お正月。
なんの気配もありません。
その日は大雪の中の休息日。
朝からとても良く晴れ、近所の神社に一家総出で初詣に向かいました。
あまりにもいい天気なので、お寺さんにもご挨拶に行きました。
このお寺は小さいときから何かと気にかけてくれる僧正さんがいらっしゃるお寺なのです。
その日の夜、親族一同でで宴会状態の中、次男の名前付け大相談会が開かれました。
長男はすぐに決まったのですが、次男はどうするか、全く決められないままでした。
夫は和風な名前にしたい、と言っていて、
私はとらを入れたい、と主張していました。
(ちなみに長男は龍の字が入っています。)
いろんな案を出す中、コソッと夫が言いました。
「雪舟はどうだろう…」それもすっごく小さい声で。
しかし全員聞き逃さず、すかさず「それはないわー」
ちょっとしょげてて可愛そうでした。
私は曽祖父の名前、寅蔵をもらいたい、と言ってみました。
みんなはうーん、とうなった末に、やめようかー、と。
男はつらいよの寅さん、と絶対言われちゃうから。という理由。
なら、、、、と虎の字を入れる、ちょっと和風な名前で落ち着きました。
そんなこんなでお正月の夜は開けました。
翌朝、朝から外は真っ白!
雪がふぶきだしていました。
そして、私は陣痛を感じていました。
早くて夜かなー。と母に伝えると、
「もう産院行け」と言われ、荷物をもって夫と産院へ。
二人を下ろすと母は買い物へ。
買い物を済まして顔を見せる母。
夫にお弁当をいくつかと飲み物などを渡して言いました。
「産まれたら教えてー。もう今日は来んけど。」
大雪なので、車をもう出したくない、ということでした。
じわりじわりと進む陣痛。
オロオロするだけの夫。
病院に到着してから12時間後、ようやく次男が産まれました。
2度目の出産なので
「はぁ~産まれた産まれた」という感じでした。
ふと横を見ると、私の手を掴んだま、涙を流す夫がいました。
なんだか感動したんだそうです。
まぁ、長男のときは産院から「来るな!」って言われてましたからね(笑)
長男出産から5年も経つと色々やり方も変わっていて、
次男はカンガルーケア?とかなんとか産まれたままお腹の上に置かれました。
私は早く部屋に戻って寝かせてくれー!としか考えてなかったです。
夫はひたすらよかったねーありがとうとかなんとかぶつぶつ言ってました。
1時間後、やっと部屋に戻り、速攻で眠りました。
夫はソファで夜を明かしたようです。
翌日、家族が総出で見に来ました。
長男も物珍しそうに眺めていました。
悔しかったのが、入院が1月2日だったせいで正月御膳を食べられなかったこと!
退院まで普通のお食事でした(泣)
そんなこんなで2月末、横浜に戻りました。
長男はもとの幼稚園で卒園式を迎えたのです。
長男は小学生になり、次男はすくすくと大きくなっていきました。
この次男、長男とは正反対で超アクティブ。
長男は全く動かない子で歩き出したのも1歳2ヶ月を過ぎてからだったのに対し、
次男はつかまり立ちも早く、10ヶ月にはもう走っていました。
家の中でもじっとなどしていなくて、飛ぶ跳ねる踊る暴れる…。
男の子とは、こんなに大変なものか、と舌を巻きました。
毎日毎日とにかく外!家の中にいては階下に迷惑がかかります。
疲れることを第一目標にひたすら付き合いました。
その結果、ますます体力がつくという結果になったのです。
次男は、実家でも色々やらかします。
好奇心旺盛すぎて、ブロック塀の上から落下、おでこにピンポン玉くらいのたんこぶを作ったり、
転んで顔面着地して前歯を折ったり、
道路で転んで膝をぱっくり割って6針縫ったり。
↑全部実家での出来事でした。
とにかく毎日が騒がしく、てんやわんやと過ごしていく中、
3人目が産まれました。
日に日に体力が有り余ってくる次男、泣き続ける娘。
ボロボロアパートに限界を感じた私達は再度引っ越しを決意しました。
無計画すぎ!と言われたらぐうの音も出ません。
割といきあたりばったりに過ごしているのは自覚しています。
引っ越しには、家賃の他にもう一つ外せない条件があありました。
それは、広い家であること。
この引っ越しをしたら10年は住み続けよう!と決めていましたので、
子どもが小→中→高と進んでいくことも考えて探しました。
普通の人たちは結婚するときにここまで考えているんだなぁと思ったことは内緒です。
私も夫も「家は賃貸でいい派」なので家を買うという選択肢はありませんでした。
広い家、となると、マンションではほとんど見つかりません。
今回は貸家を中心に探しました。
すると、不思議な家が見つかりました。
内覧申し込みして見てみると、ものすごく面白い。
コンクリートの真四角の家。
無骨で、間取りも色々おかしい。
何だか呼ばれているような、そんな気がしました。
そして、担当者は乗り気じゃなかったのです。
よくわかりませんが、「内装やり変えてますが、もとはひどかったんです、ほんとうに!ひどかったんです!!!」と力説するのです。
事故物件なの?と聞くと、そうではない、と。
じゃあなぜこのうちは貸家に出てるの?と聞くと、
住んでいた人が引っ越されてしまい、放置すると家がダメになるから、ということ。
貸すことを想定して使っていなかったので、いろいろキチャナイ、ということらしいのです。
確かに、ヤニ跡が結構あります。
ドアの建て付けも悪いし、コンクリート壁の塗り方も相当荒い(笑)
なのに、不思議と嫌悪感がなかったのです。
あまりにも、「元はひどかったんですよ」と連呼する担当に、
私は「逆に出るときに楽そう」と感じました。
あまり、掃除が得意じゃない・・・というか苦手なので、そのあたりあまり気を使わなくていいのはありがたい。
そして、次男の「ここに引っ越せばWii Fitできるね♪」という一言で、決めました。
ボロボロアパートでの懸念は、ここに引っ越したことで完全に払拭されました。
引っ越しが終わるとすぐ、私は近所の幼稚園に行きました。
11月を過ぎていたので、幼稚園の募集は終わっていました。
しかし、ダメ元で、と思い、次男を連れて見学を申し込んだのです。
その幼稚園は、裏山もあり、年長時には剣道も取り入れている幼稚園でした。
裏山を思う存分に走り回れて、授業内で剣道も教えてくれて、放課後の習い事も豊富。
これはここしかないだろう、と。
今から入園申し込みは可能ですか?と尋ねると、
「いいわよ~、何なら来月から来る~?」と園長婦人。
いえいえ、4月からで十分です、と伝えました。
次男は4月から幼稚園に通うことになりました。
年長のみ剣道を習える、ということだったのですが、
放課後の剣道教室は誰でも入れたので次男は年中から剣道を習うことになりました。
ついでに小学校の兄も剣道教室に無理やり入れました。
猫背になっていたのがすごく気になっていたのです。
この年、引っ越して右も左もわからない状態だったので、幼稚園の役員を引き受けました。
とにかく知り合いを増やそうと思ったのです。
幼稚園の役員を引き受けたことで最初からものすごく忙しい日々を送ることになりました。
そして、知り合いが一気に増えました。
コミュ障なので、役員をせず、普通に送り迎えしているだけだったら知り合いはできなかったと思います。
何かと人と連絡をとったりしなくてはいけない状態にすることで、きっかけがもらえたのです。
そんな役員の仕事を終え、幼稚園と役員の慰労のお食事会が行われる、という日のことでした。
PTA室で待機しているとき。幼稚園全体が揺れました。
東日本大震災でした。
この日、次男と夫はお台場に行っていました。
3月でも汗ばむほどの陽気だったので、上着も持たずに。
お台場は封鎖状態になり、寒い中、避難できる場所もなく、マクドナルドで夜遅くまで座っているしかなったそう。
夜中になって、近くのビルが女性・年寄り・子供連れを優先的に会議室を開放してくれたのでそちらに移動。
でも、会議室の椅子を並べたものの上では、とてもじゃないけれど寝れなかった、と。
夜中すぎには、高速も信号も順次復旧し、ちゃんと帰ってこれたから良かったのですが、
このときは本当に、家族とは何かを考えさせられました。
***
暗い部分で終わってすみません。
明日も、ちょっと重たい話になるかも知れないです。