トラジャ物語~その16

【トラジャ物語 その16】
このまま冷夏になるのか?と思っていましたが、
関東も少し気温が上がってきたようです。

台風も近づいてきていますので、
沖縄、九州地方にお住まいの方はご注意くださいね。

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相模大野時代は2年と短い期間でした。
次に移った先は、綱島。
新幹線の新横浜駅が近くにある地域です。

綱島時代。
あと一歩間違えていたらどうなったのだろう、
という事がありました。

そのことにも触れていきたいとおもいます。

***

相模大野時代、夫は帰宅が毎回深夜でした。
小田急線の最終電車に乗ると、
帰宅時間は大体夜中の2時。

流石に、この生活はツライ。
ということで、契約更新とともに引っ越すことにしました。

仕事に通いやすい駅、
新幹線からアクセスしやすい駅、
急行が停まる駅…。

いろんな条件はありましたが、
そうやってもなかなか見つけられないものです。

ならば住みたい沿線で探そう!
ということで、
東急東横線沿線を探してみました。

でも、そう簡単には希望の物件など見つかりません。
根気よく、粘り強く探してみました。

すると、綱島に何故か破格の物件が。

内覧させてもらうと、
高級分譲マンションなのです。

なぜ賃貸になっているの??なんでこんなに安いの?

実は、定期借家でした。

持ち主がドイツに転勤(3年)のため、
期間限定で貸し出すよ、という物件だったのです。

迷った末に、契約しました。
3年という期限はあるものの、
夫の体のことを考えるとベストであろう、と。

***
快適なマンション暮らし。
夫は趣味に仕事にと打ち込んでいました。

私は、夫のお下がりのパソコンを貰い、
ネットを再開しました。

そのうち、ネットゲームに夢中になりました。
まだまだ、ネットゲームと言っても
ドッド絵のテキストスタイルです。

きれいなグラフィックでドーンとかバーンとかじゃなく、
所定の場所をポチッと押すと
画面が切り替わって「YOU WIN!」とか出るような
地味なゲームでした。

一日の殆どをゲームを進めることと、
ゲーム内に設置されたチャットをすることに費やしました。

スマホのゲームでも、TVゲームでも同じですが、
一度やりだすと止まらなくなるのが私の悪い癖です。

ドラクエも、発売するたびにクリアまでやり込みました。
(クリア後もやり込みました)
子供ができたことでポケモンも2種類買って息子と二人でやり込むという生活でした。

その頃、息子はプラレールにハマっていたので、
プラレールの線路をひたすら引いていくゲームをやり込んでいました。

とんでもない集中力と見たことのない手さばきで
TV画面にみるみるうちに複雑な線路を引いていくのです。
それを見たときには子供ってすごいな、
と感心してしまいました。

息子がTVゲームをしたり、実際に部屋中をプラレールの線路で埋め尽くしている横で、私はパソコンのゲームに夢中になっていました。

ゲームに、というよりはその中で他のプレイヤーと交流できることにハマっていきました。
そのうち、ずっとパソコンに向かってキーボードを打つだけになっていったのです。

ご飯は作っていました。
掃除もしていました。
でも基本的な家事以外は、ずっとパソコンでチャットしていました。

今思えば、そこには一つも建設的なことはないのです。
ただただ、ゲーム内でチャットして、
集めたアイテムをゲーム内で売ったりしていただけなのです。

時間だけがどんどん消費されていきます。
そのうち、感覚がおかしくなっていきました。
ゲーム以外やりたくないのです。

もともと、ハマりやすい性格の上に、
ゲーム+コミュニティ+ゲーム内のステータス+アイテム販売…こんな要素が楽しくて、とうとう息子のことを全く見なくなってしまいました。

もともとおとなしい性格で、あまり外に行きたがらなかったことも災いしたのかもしれません。
手のかからない子でした。

あるとき、夫に注意されます。
「あんまりゲームばっかりしてないで、息子のことも見て?」
攻めるわけでもなく、穏やかに言われました。

ハッと気がついて見ると、表情がなく、おもちゃで遊ぶわけでもなく、寝転んでトミカを前後に動かすだけの息子がいました。

静かにしている、一人で遊んでいると思った息子は、つまらなそうに転がっていました。
全然楽しくなんかなかったのです。

私は息子と遊ぶ時間を増やしました。
と言っても、一緒にプラレールの線路を引いたりするくらいですが。

公園にも行ってみました。
でも、全然お友達もいないのでそんなに楽しめませんでした。

どうしたらいいんだろうか、と考えて、幼稚園に入れよう!と気が付きました。
多分、年齢的に幼稚園に入れるはず!

一子目だったので、そのあたりの知識は皆無でした。
何歳から幼稚園に入れるのか、とか、
保育園と幼稚園の違いとか
全くわからなかったのです。

とにかく、近所にある幼稚園を見に行ってみました。
すると、掲示板に、「〇〇年度園児募集」というポスターが貼ってありました。

このとき、息子は3歳でした。
幼稚園に応募するとき、本来ならば3年保育への応募になります。
しかし、本当によくわからなかったのです。

職員さんに2年保育ですか?3年保育ですか?と聞かれて
なんのことかよくわからずパニックになってしまいました。

息子の生年月日を伝えました。
でも私がパニックになっていたせいか対応してくれた職員さんは2年保育でのエントリーをしたのです。
私もよくわかっておらず、息子は年中さんの年齢なんだー、と。
面接日はいついつです、この時間にきてくださいと紙を渡され帰宅しました。

夫にそのことを伝えると、
「えっ、年中さんになるの?ふーん・・・?」
なんだか腑に落ちない様子でした。
私も全く腑に落ちていなかったのですが、職員さんに生年月日を伝えていたので間違いないはず、と思っていました。

幼稚園面接当日。
3年保育の子たちは午前中に面接があります。
2年保育の子たちは午後。そして、少人数です。
ほとんどの子供が3年保育での入園の幼稚園だったのです。

あとから聞いた話ですが、倍率が高く、希望しても入れないこともあったそうです。

そんな中でのほほんと2年保育の面接に行きました。
一通り面接が終わり、帰り際のことです。
廊下で呼び止められました。

「年中さんに応募されていますが、年齢的に年少さんになるのですが…」と。

内心「やっちまったー!!」と焦りました。

「いやいや、エントリーの際に年中さんですねーと言われたんですよー」
と言い訳しつつ、エントリーの変更をしてもらって、事なきを得ました。

意味がわからない、と、思考停止するのはダメだ!と痛感した出来事でした。

幸い、入園の許可をもらい、息子は3年間楽しくこの幼稚園で過ごすことになります。
私も、幼稚園のおかげでママ友ができ、家に引きこもってゲームすることもなくなりました。

ネットゲームの時間は少しづつ減り、幼稚園が始まるともうゲーム自体をやめてしまったのです。

「ママ友」は限られた範囲内の、限定的な友人かもしれません。
ですが、子供を通して、いろんなお母さんに出会えたことはとても勉強になりました。

何よりも、外部との関わり合いが復活できたのが本当にありがたかったのです。

***

実は、引きこもった原因はもう一つあります。
引っ越してすぐ、お隣さんが
「仲良くなりたいから遊びに来ない?」と誘ってきました。

お隣ですし、仲良くしなきゃいけないと訪問しました。
そこには他にも数名の女性がいて、ケーキを振る舞われながら、ひたすら話をしてきました。

あれよあれよといううちに、
「新横浜の近くに面白いところがあるから今からでかけてみない?」と連れて行かれました。
受付で名前を書くように言われ、なんだか広いところに案内されました。

そこでは何十人もの人がぶつぶつと念仏を唱えながら立ったり座ったりしていました。
そこは、宗教の施設だったのです。

怖いと思いましたが、とりあえず指示に従い、おとなしくしていました。
とにかく無事に帰宅することだけを考えました。

マンションに帰ると、大量の本を渡されました。
帰宅して、夫にあったことを伝えました。
そして、宗教の怖さを延々と聞かされたのです。

次の日の朝、隣を訪ね、本を返すとともに賛同できない旨を伝えました。
かなり食い下がられましたが、自分の宗教観を伝え、入信するつもりがないことも伝えました。

無理強いするつもりはない、と言っていたので、それ以上何かあることはありませんでしたが、引っ越すまでお隣さんとはもう話すことはありませんでした。

このことがあり、私は人に合うのが怖くなっていたのです。
なるべくでかけないようにしていました。
マンションでも人とすれ違わないようにしていました。

その結果、ゲーム中毒になりました。

息子の幼稚園がきっかけで、外に出るようになり、近所の人に挨拶をしたり、子供に関して話しかけられたりすることを楽しめるようになりました。

これは、私の最大の黒歴史かもしれません。
息子をもう少しでネグレクトするところでした。

社会復帰できたのは息子のおかげなのです。

幼稚園での懇親会で。
「趣味はパソコンゲームです。」なんて、幼稚園のママに言えるはずもなく、自分ができることは手芸くらいなので、「趣味はハンドメイドです」なんて言ってしまったせいで、ママ友にビーズを教えることになりました。

このおかげでたくさんのママさんたちと仲良くなれたような気がします。

幼少からの趣味のおかげで、なんとか幼稚園時代を乗り切りました。

***
綱島の素敵なマンションでの暮らしはいいことも悪いこともありました。
3年限定のマンション。
その期日が迫っていました。
明日は、次のお家でのお話です。

今日も長々と読んでいただきありがとうございました!

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