トラジャ物語~その14

【トラジャ物語 その14】
この週末は寝込んだり、2日間連日行事のはしごでぐったりでしたが、皆さんは良い3連休をお過ごしでしょうか?

物語もやっと半分(!)過ぎました!!
やばい!終わるのか?!
と思いつつ、書いていこうと思います。

***

ドタバタと結婚式を上げたものの、
しばらくは別々に暮らしていました。

その間に、夫は独身寮からマンションへ。
母が姉のところ(仏)へ長期旅行へ行ったので、
私は実家で家事見習と称して毎日父に食事を作りました。

が。

私の家事能力が著しく低い事が判明…。
寮でまかない修行したはずなのに??

鍋を焦がすこと数回、
フライパンをだめにすること2回。

食パン丸コゲは普通。
コーヒーが吹きこぼれたり(コーヒーメーカーなのになぜ?)
卵焼き→スクランブルエッグは可愛いもので
じゃがいもを炊いたら炭になったり、
魚が炭になったり、
カレーが黒くなったり…。

…炭率高いな…。

私の祖母は、鍋を火にかけたままどこかに行く人でした。
炭鍋がいつも庭に並べてありましたが、
どうやら遺伝したようです。

それでも毎日やっていればそれなりになんとか食べられるものが出せるようになりました。

そして、春、私は東京に引っ越したのです。

***

東京での生活はよくわからないままスタートしました。

相変わらず料理の腕はイマイチで、
何度も生焼けの肉を出しました。

その度に夫が「生焼けだね~」って穏やかに言い、
慌てる私に
「電子レンジでチンすればいいよ」
って教えてくれたのは今ならいい思い出です。

電子レンジをかければ火が通るって知らなかったのでびっくりしたのを覚えています。

夫は怒らない人です。
対して私は何でもイライラ当たり散らしたりもしょっちゅうなのですが、一度聞いたことがあります。

「なぜ、そんなに怒らないの?」

すると、
「怒るってエネルギー使うでしょ?無駄じゃん?」

私は絶句しました。
エネルギーの節約って、そういう考え方をしたことがなかったから。

面白い考え方をする人だな、って感心しました。

***

そういえば、私が好きになる人は男女問わず、
「自分にない視点を気付かせてくれる」人が多いです。

毎回新たな発見があることがたまらなくすきなのです。

そういう意味では、子どもが生まれる、というのはとてつもない事でした。

ーーー
出産予定日の1ヶ月前。
私は実家に里帰りしました。

離れて暮らす、ということに対して協力的だったので甘えました。

予定日の少し前、夫から調子が悪い、と連絡が入りました。

風邪を引いたかもしれない、高熱が出て、動けない…。

そんな連絡に出産間近でしかも遠く離れているのでどうすることもできず、心配だけしていました。

普段あまり病院へ行かない夫も、
あまりのツラさに、病院へ行ったところ、
なんと診断は風疹。

私は夫に伝えました。
「ごめん、もう産まれるけど、病院の許可が出るまでこっちにはこないで…。」

出産当日、
鼻からスイカを出すような痛さをこらえ、
ようやく出産を終えたものの、
夫が来ないのに気がついた看護師さんから
「お父さんはこないの?」

私「はい。風疹になっちゃったんで…。」
看護師「あ!そりゃかわいそうやけど、来んといてやわ(笑)」

ようやく許可が降りたのは退院の日でした。

***

赤ちゃんがいると毎日が飛ぶように過ぎていきます。

あっという間に3ヶ月が経ちました。

ちょうど、実家が家を建て替え、そのお披露目と同じ日に長男のお食い初めをしました。

夫の両親にも来てもらい、
両家でささやかにお食い初めをして、
その後親子3人で東京に戻りました。

東京では毎日赤子と過ごしていました。

ある時、やっとおすわりができるようになった長男に話しかけると、ある違和感に襲われました。

何度か試すうちにその正体がわかりました。

右後ろから名前を呼ぶと振り向くのに、
左後ろからだと、こちらに気が付かないのです。

私は焦りました。
もしかして耳が聴こえないのではないかーと。
東京で知り合いも病院もない中、どうすればいいのだろう?!

途方に暮れながら気にせず遊んでいる息子の聞こえていない耳を覗き込みました。

せめて、耳掃除しようかー。

すると、耳垢が見えました。

よく見ると、しっかり詰まっています。
耳かきでは無理だったので
ピンセットを持ってきて
なんとか取り出してみました。

そう。

巨大な耳垢が耳をふさいでいたのです。
筒状の立派な耳垢でした。

「こりゃあ、聞こえないわ・・・」

私はそれを大事にティッシュにくるみ、
帰宅した夫に見せました!

「わざわざ見せるためにおいといたの?!」

滅茶苦茶笑われましたが、
見せたかったんです、
それほどすごかったんです!

今なら写真を撮って間違いなくSNSに投稿しますね(笑)

当時はまだフィルムカメラが主流でしたので、そんなモノを写真に撮るという感覚はなかったのです。
(デジカメも持ってましたが普段使いではなかった)

長男は翌日から、どちらの方向から声をかけてもちゃんと振り向いてくれるようになりました。

赤ちゃんのケアは大切だなぁと思い知った出来事でした。

***

東京に戻り1ヶ月位たった頃。
夫が調子を崩しました。

世間の景気が悪くなっていった頃でした。

体の調子が戻らない夫は、
会社が発表した「早期優遇退職者」に名乗り出ることになったのです。

そう決めた日から、私は動きました。
会社での残務処理や引き継ぎなど、
ますます帰りが遅くなる夫に変わり、
家を探さねばなりません。

それも早急に。

いくつかの条件を絞って探し始めました。
毎日、長男を抱っこ紐に入れ、
主要な駅を巡って、
街の雰囲気、
駅の雰囲気と便利さなどを見て、
駅近くにある不動産屋さんを毎日3,4件回りました。

その頃住んでいたのはマンションでしたが、
社宅扱いだったので、家賃がすごく安く済んでいました。

どうやっても上がる家賃。
なるべく抑えるためには、
東京都にこだわらないことにしました。

そして、見つけたのが相模大野のマンションでした。
3LDKで破格の値段。
駅からは少し離れていましたが、徒歩圏内。

夫と内覧してここなら良いだろうと決めました。

この家が、いろいろな珍事件を呼ぶことになるのですが、それは明日にします。

***
今日も長文を読んでくれてありがとうございます。

もう20年近くも前のことで記憶もあやふやになっています。
先程も「なんでそんな昔のことを?」と言われながら答え合わせしていました。

次もごく普通の日常風景になってしまいますが、もしも楽しんでもらえていたら幸いです。

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