トラジャ物語~その8

【トラジャ物語 その8】
大学受験に失敗した私。

絶望していた…わけもなく。
大体美大受験なんて2浪3浪あたりまえじゃ~!

と、浪人することにしました。

そんな高校卒業後のお話です。

興味のある方だけ、お読みください♪
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浪人することに決めた後、
通っていた美術研究所にそのまま入塾を決めました。

平日、毎日クラスに通い、
デッサン、
色彩、
立体、と忙しくレッスンを重ねます。

しかし、やってもやってもうまくならない。
焦りはありました。

同じクラスの生徒と仲良くなって聞いてみると、2浪3浪がうようよ。

「一発で受からないよねー」
そういう世界でした。

夏期講習では現役生も入り、
(またこれがとんでもなく上手い)
ちょっと、これは無理なんじゃないか?
と気付きます。

そして、いろいろと相談した結果、
受験をやめ、手に職をつけに行く方向に切り替えました。

そもそも、なぜ芸大に行こうと思ったのかと言うと、着物の仕事をしたいと思ったからなのです。

できれば作る方で。
染色を習いたかった。デザインとか。

実は、私の母は、西陣織の帯を作っていました。

京都の西陣にある機械織りではなく、
手織りです。

その美しさは、手にとった人でないとわからないと思うのですが、別格なんです。

それを間近で見て育ったので、
着物の仕事にしたいと漠然と考えていました。

今なら、思い込み、とわかりますが(笑)

そこで、単純に着物仕立ての資格を取りたいと考え、京都の和裁塾に入ることにしたのです。

京都には、和裁(着物を仕立てること)を専門に教える学校がたくさんありました。

母の伝手でその学校リストを頂き、
夏休みを利用して、何校も何校も見学に行きました。

その中で、一目惚れした学校に決めたのです。
手続きを済ませ、
9月からその塾へ入りました。

こうして、大学受験→大学生という道はなくなり、手に職をつけるべく、訓練学校へ入ることになったのです。

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和裁校(京都)時代

京都には和裁の学校はたくさんある、と書きました。

そのほとんどが、町中にあり、周りも着物関連のお店がたくさんあったりと京都らしい場所が多かったのです。

実際、学校の売りが四条烏丸まで徒歩数分!とか着物といえば西陣、そのど真ん中!といったもの。

しかし、京都のまちなか、ということは、
つまり、狭いのです。

京都のウナギの寝床、とはよく言ったものです。

私が選んだのは、街の中心部から外れた場所にありました。

中心部というか、山です。

どのくらい山かというと、
雪の日にタクシーを使うと、

「お姉ちゃん、これ以上は行けんわ。悪いけどここで降りて。」
と言われるくらい山です。

私は、山奥の出身ですので、山は全く気にならなかったのですが、狭いのはちょっと・・・と思っていました。

選んだ学校は、寮も広くて、
相部屋だけど、しっかりスペースが有りました。

あ、言い忘れました。
和裁学校は、ほぼ住み込みです。

なので、習熟のための訓練もありますが、
寮の中全体の「まかない」の仕事も当然やらないといけないのです。

細かいことは全く気にしない性質でしたので、それはネックになりませんでした。

私は、和裁を住み込みで習う、という生活に突入していきました。

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少し和裁の学校について説明します。

いろんな職業に資格があるように、
着物を作ることにも資格があります。

それが、職業和裁士というもの。

5年間でその2級をとることができます。
2級を持っていれば大抵の着物は縫える、という証明になります。

最初は運針からはじめ、
襦袢(着物の下に切る肌着的なもの)
浴衣
一重

とだんだん難しくなっていきます。

「習い事」ではなく、『職業訓練』でしたので、教材は、実際のお客さんからお誂え注文を受けた『商品』でした。

在学中に一度『美智子皇后の着物』が来たこともありました。

『人間国宝の着物』のお仕立てもありました。
当然、ベテランの先輩方が縫っていましたが、その美しさは筆舌に尽くしがたいです。

他にも特殊な仕立てとしての
袷半纏や、打ち掛け、丸帯なども縫いました。
そうやって、和裁を習得していったのです。

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今日も長々と書いてしまいました。
ここまで読んでくれた方ありがとうございます。

明日は、寮ならでは、京都ならではの
トラブル、ハプニング、驚愕のはなしなどなどかけたらいいなぁと思います。

今日もありがとうございました!