トラジャ物語~その2

【トラジャ物語~その2】
昨日は物作りと道具への愛に目覚めた過程と
ごちゃごちゃ感が好きな理由を思い出しました。

物作りについては、工作系よりも、
手芸の方がかけてきた時間は長いのです。
今日はその手芸について、小さい頃の私の行動を見ていこうと思います。
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一番最初になにか作ったことは、
自分では覚えていません。

母曰く。

2歳の私が針山をおもちゃにするので困っていたと。

私の母はお仕立てを仕事にしていました。
お仕事だけでなく、
洋服や、編み物も趣味と実益を兼ねて行っていました。

そんな洋裁をしている母の横で、
私はマメマメと針山をおもちゃにしていたのです。

母曰く。

一番最初の、私自身による針仕事は、
保育園の制服のボタン付け。

とれてしまった制服のボタンを、
見よう見まねで、ボタン付けをしたそうです。
勝手におばあの裁縫箱から針と糸を出して。

しかし所詮は園児。

ボタンの穴は4つですが、
(=)この様につけるべきところを
€←この様にはみ出してしまったのです。

当然、ボタンは止まりませんね。
まぁ、そんなことではめげず、付け直したようです。

また、かぎ針編みに興味を持ち、
小学校に上がる頃にはひらすらかぎ針編みの紐を制作していました。

あやとりの紐は有り余るほどあり、
家中の電気の紐は毛糸に変わりました。

小学2年生のとき、
夏休みの工作として、
トムとジェリーのクロスステッチを制作しました。

10cm角の小さいものでした。
しかし、当時の担任は、
『親が手伝ったに違いない』と決めつけ、
私は金色の紙(提出したら全員もらえた)を貼ってもらうことはできませんでした。

これには母が憤慨。
今でも時々思い出しては怒ります(笑)

次に興味を持ったのは袋物。
小学4年生の頃です。

おばあが内職でいろんな小物を作っていたので、その作り方に興味を持っていました。

それを見て、袋物は作れそうだぞ、と。

当時自由に使わせてもらっていた、
足踏みミシンで作りました。

これを母にプレゼントしたのです。
大小2つの袋。

マジックテープとホックで止められるようになっています。

しかも、これを今まで母は大事に持っていてくれたのです。

使わなかったのかと聞くと
『使えなかった』と言われました。
実用的ではなかったのか、
大事にしてくれていたのか・・・。

どちらも、でしょうね(笑)

高学年になると、作れるものが増えていきました。

パッチワーク、ビーズ、縫い物に編み物。

特に編み物は楽しく、
セーター、帽子、手袋を量産していました。

その中でも、毛糸の帽子はおじいに大好評でした。
おじいの頭はとても涼しい感じでしたので、
冬は毛糸の帽子が必須でした。

家は、家の中にも雪が積もる風通しの良い家だったのです!

最初は母が作っていたのですが、
いつの間にかおじいの帽子は私の担当に。

毎年3個は作ったのではないかとおもいます。
暖かく肌触りの良い、いい毛糸を使っていたのですが、
初代猫のあたるががじがじとかじるのです。
毛糸の帽子がよく穴開き帽子になっていました。

もちろん補修もしましたが、
毎年新作をプレゼントしていました。

小学生の間は時間が腐るほどありましたね。
毎日毎日何かしら作っていたのではないかと思います。

今日はその母が大事に持っていてくれた袋と手紙を大公開(笑)
すごく荒い作りです。
そして手紙。

自分の娘と口調がそっくりで笑ってしまいました。
親子なんだな(笑)

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